「オレンジフィルムガーデン」第12話 



 最初に処方された睡眠薬が、一週間ほどで早くも底をついた。短い期間で「また薬を処方して下さい」などと言えば当然怪しまれる。薬を頼らずに寝ることを試みてみたが、僅かほどの眠気もやってこなかった。眠れぬ夜は、苦痛でしかない。小さく膝を抱えて僕が現れるのを待っているヒロの姿を想像すると、僕は居ても立ってもいられなり、余計に目がさえてしまった。
 暗い部屋の中、僕も膝を抱えてうずくまる。
「ヒロ、今行くから……」
 そう呟いている内に、夜が明けた。



* * *



オレンジフィルムガーデン



§第12話§



* * *



 結局その日の放課後、病院に行くことにした。薬を貰っても不自然じゃない理由を必死で考えて、副作用が原因で体調が優れない、だから薬の種類を変えてくれ、そう言おうと決めた。実際に医者の前でそのことを説明し、体重がごっそりと落ちたことも告げる。そうすると、以前に来たときと比べると幾分痩せこけた僕の顔を見て、医者は別の種類の睡眠導入剤を処方してくれた。ただし、「少しだけこれで試してみて」と、少量の処方であったことが僕を悩ませた。
 薬を受け取り、次に行くときの言い訳を考えながら家へと向かう。病院は僕が昔通っていた小学校に近く、多少は町の景色も変わってしまったとは言え、周辺の地理は十分に理解できた。
 川沿いを歩き、小さな駅を通り過ぎる。その先を走る国道を横切ろうと、横断歩道で信号が変わるのを待つ。
 道路の向こう側の歩道を、セーラー服を着た髪の長い女の子が歩いていた。今時、多くの高校は僕の通う高校と同じようにブレザーで、だからそのセーラー服を物珍しい気持ちで眺めていた。
 よく見ると、その子は誰かに似ているような気がした。
「……ああ、ヒロに似てる」
 そうだ、彼女はヒロに似ている。そっくりだ。

……ヒロに似ている!?

 それに気付いた瞬間、背筋を冷たい汗が流れた。慌てて、道路の向かいの彼女を観察する。くりっとした大きな目に、微かに幼さの残る顔立ち。髪はあの頃と違って胸の辺りまで伸びているが、そんなのどうにだってなる。
 いつも会っているヒロとは、微妙に違う。ヒロの方が、もっと童顔だ。けれども、これは他人の空似で済ませられる次元ではない。それくらいに似通っていた。
 ヒロに、妹が居るなんて話は聞いたことがない。親戚かもしれないとも考えたが、それにしたって似すぎている。今すぐ駆けていって彼女に直接問いただしたい所だったが、信号はずっと赤のまま変わらない。今か今かと待っている内に、彼女はどこかのビルの角を曲がっていってしまい、その姿も見えなくなってしまった。
 少しして、信号が青に変わる。慌てて彼女の曲がった道へと走るが、全身が怠くて思うように前へ進めない。その道の前に出たときには、もう彼女の姿はどこにもなかった。
 とにかく、頭が混乱していた。何年も会っていないとは言え、初恋の相手を忘れるはずもない。あの子はヒロ……だと思う。ただ、夢の中に現れるヒロとは微妙にズレている。しかし、無視しても構わない程度のズレのようにも思える。
 道の真ん中で、僕はただ立ちつくす。

――彼女はいったい、何者だ?



 二日ぶりに夢の中へと戻ってくると、ヒロは斜面に足を投げ出して、川の流れる様子を眺めていた。僕がゆっくりと近づくと、短い髪をさらさらと揺らして振り返る。
「ユキっ!」
 満面の笑みを浮かべたヒロが、こっちへ向かって走ってくる。そして両手を広げて飛びつくように抱きついてきた。その勢いを受け止められずに地面に倒れた。
「何してたのよ、もう。ずーっと待ってたのに」
 僕の胸の上で、はっしゃいだ声を上げる。
「ごめん、ちょっと色々とあってな」
 僕がそう返すと、ヒロの表情がふっと険しくなった。
「……ユキ、どうしたの? なんか、怖い顔してるけど」
「そうかな?」
 ヒロの顔をじっと見返す。目の前に居る女の子は、確かに小学校の頃のヒロと同じだ。こぼれ落ちそうな大きな瞳も、幼い少年の雰囲気を併せ持ったあどけない顔立ちも、耳が見えるくらいに短くされた髪型も。誰が見ても、これはヒロだと、そう思うだろう。
 しかし、逆にそれが不自然にも思える。あの頃のヒロをそっくりそのまま持ってきたかのような、イメージの中のヒロをそのまま背丈を伸ばしたような、そんな出で立ちだ。
 勿論、成長しても容姿が殆ど変わらない人だって居る。そう考えれば、不思議ではない。しかし、今日町で見かけたあの少女と比べてみると、目の前のヒロは完璧すぎるくらいにヒロだ。そこに、微かな違和感が存在する。

『ユキが信じ続けていれば、ここはなくなったりしないよ、絶対に』

 かつてヒロが口にしたセリフが、警鐘のように頭の中で響く。そうだ、疑ってはならない。疑念を抱いてしまえば、この世界は閉じてしまう。今僕が信じるべきなのは目の前にいるヒロであり、守るべきなのは二人の時間だ。
「…………ユキ?」
 ヒロが、恐る恐るといった様子で、再び僕の名を呼ぶ。だからそんな不安を取り除くように、優しく頭を撫でてやった。
「大丈夫、なんでもないって」
 くすぐったそうに目を細めるヒロが、そこでようやく笑った。そう、これでいい。こいつが笑ってくれてさえいれば、僕は欲しい物なんて無いんだ。決して我が儘な望みではない。だから、これくらいは守らなければ。



 そうやって自分を納得させたつもりだったが、いざ目を覚ましてヒロが居なくなると、猛烈な不安に襲われた。町で見かけた女の子のことを、他人の空似だと言い聞かせても、「そうじゃないだろ? それだけじゃないだろ?」と冷たい声で囁きかけるもう一人の自分がいる。
 いくら耳をふさごうとしたって、疑うな、考えるな、と言い聞かせることは、疑っている、考えている、ということと同義だ。
 ただでさえ不安定だと言った夢の世界。この不安のせいで崩れたりするのではないか。そう危惧した僕は、たっぷりと考え込んだ末に決断した。もう一度、あの子を見てみるべきだ、と。


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